お客さんの話をいろいろ聞いていると、「つきあう」という意味は千差万別だと本当に思う。ここでいう「つきあう」は”彼氏とつきあう”の「つきあう」のこと。仕事のつきあいとか、友達のつきあいではない。
ゲイにとって、日本ではまだ「結婚」はできないので、よく「彼氏いるんですか?」とか一緒に来た方は彼氏?とか話をすることが多い。
若い頃は「つきあう」と言ったら、お互い好きになって、デートしたり、誕生日やクリスマスを祝ったり、一緒に住んだり、もちろんエッチもしてとということが定番と思っていた。でも、50代半ばで彼氏いない歴が2年となってくると、「つきあいたい」気持ちはあるけど、若い時考えていた「つきあう」とはかなり違ってきている。(もちろんデートとかしたいが笑)
一番理想はお互い好きになって、エッチも相性がよくて、仲良しで、自然体でいれて、一緒に住んでお互い死ぬまで一緒にいられたらとは今でも思うが、それは幻想であってそういうカップルは少数派のように思う。若い頃に理想は崩れ、現実を見てみんな「つきあう」ということをしているようにも思う。
ノンケであれば、「結婚」という制度がどういうものかは、両親を見て、テレビや映画をみてそんなものだと思い、疑問を感じることはあまりせず、結婚して子供ができて、孫ができてという人が多いが、最近は一生独身でいいという人もかなり多くなってきている。
いろんなお客さんの話を聞いていると、
・彼氏と20年以上付き合っているが、一緒に住んでなくて週末は会って一緒に過ごす。エッチは彼氏にバレないようにマナーを守って(笑)アプリや発展場でする。
・愛する彼氏がいて付き合っていても、セフレが何人もいる。
・お互い信頼している長年の彼氏はいるが、他の人に恋をしている。
・エッチはもともとないが、精神的につながっているからそれでいい、
などなど。
僕が硬い考えをずっとしていただけなのがもしれないが、まだまだ驚く話が沢山ある。そういう中、自分の中で、「つきあう」ことの考えが揺さぶられている。
きっかけはあるお客さんと話していて、セフレの話になった。僕はセフレとは「セックスしましょう→しました→じゃあまたね」と思っていたが、セフレとエッチしたあと、ご飯を食べたりいろんな話をすると聞いて驚いてしまった。(ちなみに僕は今までセフレがいたことがない)それって情がでてきて、つきあいたいとかになってこないの?と聞いたらそれはないと。相手も彼氏いるしと。なるほどと思った。じゃあセフレも一種の「つきあう」ではないのか?
さらに他のお客さんで「彼氏はいないけど、セフレはいる」と。ふーむ。そのパターンもあるのかと。
ではいったい「つきあう」「つきあってる」「彼氏」とはどういう関係なのか。
それぞれのお客さんと「彼氏」や「セフレ」の関係性はなにか簡単には説明できない何かがあるのだろう。「愛がある」とか「パートナーである」とか簡単な言葉ではなくて、カテゴライズするのは不可能なんだろう。
言葉にできないものはっきりしないものは、得体がしれず不安を感じるのは悪いクセだが、自分だって友達との距離や関係はひとりひとりみんな違うし、それと同じように、「つきあう」という関係もひとりひとりみんな違うしそれは当人同士でしかわからないし、第三者が簡単に理解できるものではないものだと。僕の理想や幻想が純粋なのか幼稚なのかはよくわからないが、そんなのにこだわらなくて、当人同士がわかっていればそれでいいものなのだと少し思えて楽になった。
でも少なくとも「つきあう」には当人どうしなんらかの「好き」という気持ちがしっかりあるのだと思う。なにを当たり前なことを言っているんだと怒られそうだが、理想や幻想の呪縛が、この歳で少し解けたようで楽になった。
何よりも「好き」と思える人が知り合いであれ、友達であれ、恋人であれ、いることは幸せだし素敵なことだと思う。
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